初めての陣痛のとき聴いてた曲 Let it be-glee cast" を YouTube で見る
辛い時に聞いて欲しい洋楽 Let it be-glee cast - YouTube
実際はビートルズのものでしたが。
私は元々無理すると腰にきやすいからか陣痛が腰にきてピークにくると魔女の一撃を何度もくらうという感じでした。😱😱😱キャー
(徹夜というのと、陣痛促進剤の点滴投与のためかなと(元々子供の頃から薬をあまり飲んだことがなかったので効きやすい体質というのもあったのかなとも思います))
そんななかでもレットイットビーはよくきこえて🐝🐝🐝
そのたびに自然に任せよう~となりました。
曲が終わると
無理じゃ~😱😱😱
となりましたが笑
余談ですが
三人目ちゃんも予定帝王切開だったのですが、陣痛が先にきたので急遽手術になりました。
陣痛の合間合間に子供二人に朝食をとらせながら旅行カバンを階段からおろし、子供二人連れてタクシーで産院にいきました。
そこで母がきてくれたので安心してお願いして、手術のときは8分間隔になっていました。👶👶👶
ありがとうございました~💕
タイランド②
ディスレクシアなんて怖くないの引用について、「正しい」「間違っている」ではなくそういう考えもあるなあ、面白いなあと捉えるのが自分の感覚です。
考え方もひとつのツールというか、鉄のフライパンでもいいし、フッ素加工されたフライパンでも、それを使う人間がいい気分や面白がれるものであったらなんでもいいかなと感じています。
サピアウォーフの仮説、ネットサーフィンしただけですが、、その中にあった、個人で言語以上の感覚を知覚することは十分考えられるが、言語がないと議論することが難しいとの記述をみて、思い出したことがありました。
昔、タイにタイ古式マッサージ(日本の学校経由で)を学びにいき、現地の方の寮(マッサージ店で働く皆さんの)で一緒に生活したことがありました。
余談ですが初めの初級編一週間は授業の間は日本の学生さんもいたんですが、次の中級編の受講生は私一人で通訳さんもそのせいなのか?違う仕事にいっていなくなってしまいました。笑
実際に働くかたからマンツーマンで教わりました
お互い母国語が英語ではなく、言語による意思疎通はほとんどなかったような気がします。
(挨拶くらい)
そのときそこに暮らす皆さんが色々と面倒みてくださって(日本人は私一人でした)、毎食だれかしら声をかけて一緒に食べてくれたり美味しいところに連れて行ってくれたり、朝のジョギングやエアロビにも誘ってくれたり、仕事以外の時間は楽しんですごすことができました。😌💞💞
ただ、そのとき感じたのは(英語もほとんど、通じませんでした)その土地の言葉で話せないと自分は子供、もっといえば幼児みたいだなぁということでした。👦👧👶
(最後の方は、多少現地の言葉も使って何時に終わるの?みたいなことは話せるようになりました。)
会話においてなら日本にいても日本語も片言の私ですから(短文、単語メインに近いかもしれません)切り捨ててしまったものだらけです。(笑)
ただ、上記の寮生活のとき言語を介さずとも十分事足りていた気もします。
例えば私がもってきた日本食を皆が味が物足りないからこんなスパイスいれてみたら?と盛り上がってみたり
風邪をひいてしまったら(何年かぶりにそこで高熱をだして寝込んでしまった、フロア一体型だったのでシャワー室もクーラーが聞いていたり、室内と外の気温差(クーラーはどこもガンガンでした)が大きかったのが大きいかなあと思っています)病人食と薬を家族のように普通にもってきてくれて、交代で快方してくれたり。
ちなみに寝込む寸前な死ぬほど喉が痛くなり、薬屋さんでうがい薬みたいなものはないか聞いたらリステリンを渡されて、確かに🙎と思いました。
そんな寮生活でしたので一緒にご飯食べて、遊んでなんか楽しいねと、お互いに(私はもちろんですが)感じられていたように思います。😌💞
ちなみにはじめてのタイはこちらです。
私はあまり人に○○したとか、報告する習慣がありません。
忘れてしまうというか(笑)
だれかが話していて、ふと一人で思い出すとか、その場の雰囲気で話したりすることはあります。
ただ、その○○したこと、味わったことは私の細胞に何かしら働きかけられていて、わたしの選択する際の小さな道しるべだったり、料理だったり、考え方だったりに表れているだろうと感じています。
そんなことから、一緒に何かを体験、体感できる、できた相手はわたしにとって特別な気がします。
オープンクエスチョンといわれているものも、わたしにとってはある程度ひながたがあって、そこにのせているだけ、マニュアルがあるような感覚です。
こどもたちが1才くらいのとき、あるキャラクターが好きでその図鑑をよくみていたのですが、これはなんていうお名前?ときいても答えられなくても○○ちゃんはどれ?とひとつずつきいていくと何十種類ものキャラクターをよくわかっていて、驚いたことがあります。
ちなみに外で何かまっているとき等に、他の子供とかも混ぜて似たやりかたで問いかけてみると、みんな話さないけど、自分の好きなものについては本当よくしっていました。
こちらが彼らの世界をどれだけ知っているか、または、こちらの感受性によって、相手に対する評価はずいぶんと変わってしまうかもしれないと感じました。
ありがとうございました。
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ありがとうございました。
朝、口がくさい🐝🐝🐝
いつだったかの週末、朝起きたらパパがゲームしていて、それを起き出した息子が顔をくっつけて見てました。
そしたら
パパが
👨『お前なんか口くさい』
とダイレクトに言っていて、きっついなぁ(寝起きだしねぇ)と思っていたら息子が
👦『あぁ、それはねパパの口のくさいのがうつってそう感じるんだと思うよ☺』
と淡々と言っていて、その場に近づきたくないなあと思いつつ、なかなかやるなぁと思いました。
パパは
👨『えっ、、、。』
みたいな笑
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ありがとうございました❗
みたい、感じたい🙈🙊🙉💞
私は今までのものも含め自分のパッションは、ただ、見たい、感じたいんだなぁと思っています。
それは姉妹のこととも関わり合いがあるとも思っています、多分
で、ただ見ていることってなかなか難しいというか笑、好みもある笑。
で、私にできることはあなたといることを全力で楽しむということが今までの私の人とのつきあい方だったなぁと思いました。
で、ふと、大好きな白眼視様の言葉を思い出したのです。
『人の幸、不幸の量はみな等しく同じものだ』
『私にできることはせいぜいちいさな災難を小さな幸運に変えることぐらいだったが』
『だけど、本当は災難を避けよう、避けようとしてはいけないんだ。
災難はくるときにはくるんだよ。その災難をどう受け止めるのかが大事なんだ。必要以上に幸運を望めばすみにおいやられた小さな災難は大きな形で戻ってくる。』
作者の山岸凉子先生は一時期かけなくなったそうです。
で、鬼で吹っ切れて白眼視で復活することができたと思うという記事を最近読みました。
昔の飢饉で口減らしのために穴に捨てられた子供たちが、生き残るためにお互いを食べ、また、いつまでも、助けにきてくれるのを穴の中でを待っている、でも、僕は鬼になってしまった、、、、
最後は子供の神様お地蔵様が怖かったね、そんなことあったら、誰でも鬼になるよ、大丈夫、大丈夫、と極楽につれていってくれる、そんなお話です。
私はやっぱり、いろんなものを味わいたいけれど自分好みの、優しいもの、美しいもの、楽しいものを味わいたい、とそう思います。
ありがとうございました💓
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ありがとうございました。💓
楽しかった体育参観✨✨✨
昨日は年長さんの息子の体育参観でした。
まず始めに跳び箱を飛んで、でんぐり返し、鉄棒、うんてい、登り棒、を続けて行うのを何セットか見せてもらって、その時点で、
👩(こんなことできるようになってたなんて、、、、😢💞涙)
だったんですが。
その後に
ドッチボール大会
がありました。男女別で戦うクラス対抗戦でした。
始まるのにあわせて、母たちも場所を移動。
向こうで○○!○○!と息子の名前をいうお友達たちの声が聞こえました。
何か決めてるんだろうなぁと思っていたんですが。
いざ、始まるときみたら、
ドッチボールの始めのジャンプボールに抜擢されていたみたいでした。😲😲😲
うちのお兄ちゃんは私に似たのか小柄で、クラスでも1、2番です。
私自身はきにしたこともなかったのですが、男の子で、活発なほうなので人にいわれたりしたこともあったようです。
その息子が大きい子と互角にジャンプボールで玉を打った瞬間、自分のなかの何かがぱかっと壊れた気がしました。
パカッ❗
その後彼は仲の良いお友達たちとガンガン敵チームにボールをぶつけていて。
一緒に見ていた男の子ママさんたちもみんな○○くん凄いね〜と言ってくれて。
彼がボールを投げるのが上手いのは一緒に公園だったりで遊んでいたのでしってはいたのですが、この光景になんか、夢をみているようでした。😲😲😲💕
その後縄跳び参観でだったんですが、これまた縄跳び上手くて。
毎日家の前で練習していたのは確かにしっているんですが(全く飛べないときからみてはいました)、なんか一人ボクシングの選手みたいな飛び方していて。
その後またドッチボールでもうひとつのクラスとの対抗試合があり、また、男の子ママさんたちとみていたのですが。
なんか、男子の母でよかったってものすごくこの白熱した試合をみて感じることができました。
今まで、自分を超える動きをする子供たちをヒヤヒヤいつも見守っていて(見守るしかできない)、途中から、自分の知らないところで怪我されるよりはみているところで怪我してくえるほうがまだましなんだと、ただ、ただ、見ていました。(車とかまわりは危なくないかはみていましたが)
見ているのはすごく面白かったけど、正直すごく怖かったです。(私は昔運動器系の勉強をしていて、ささいな怪我からおきた障害というようなものにすごく敏感でした)
そのうち大丈夫そうなのでなれましたが。
でも、このドッチボールでの彼の活躍、またお友達たちの活躍を見ていたら、そんなの本当に本当にどうでもよくなって。🐝🐝🐝💞💞
楽しそうに活躍する彼らをみて自分にも羽が生えたような、そんな気持ちになれました。
🐝🐝🐝🐝🐝💞
頑張れーとかも今までもお兄ちゃんが喜ぶから声をかけていましたが(運動会とか)昨日は、○○当てろー!!と自分の肚から応援というのか、期待というのかを彼に浴びせて笑
私だけじゃなくて他のママさんたちからも○○くん当てろー!とかいわれていて。
また、私もほかのお友達に○○くん当てろー!みたいにこえかけて。
そのうち○○いけー!みたいに呼び捨てまでみんなでしてました。
彼も彼らもそれをうん!😠😠😠って言う感じでガンガンやっていました。
ただ、彼らのクラスの子がとうとう最後の一人になってしまって。😱😱😱
でも、そのこが奇跡的にももちこたえてくれて外野に回ってしまった子たちがもどってきて、引き分け!!
相手のクラスには120センチの子たちがぞろぞろいて。
大健闘でした。
そうしたら園長先生が今の試合はとてもよかったので、5分間だけ延長戦をやります!みたいに始まり。
みんなモチベーションが下がりつつも始まると急上昇❗❗
イケイケ~❗❗と試合の終わったお母さんたちも加わり大歓声でした。
ドッチボールって顔セーフだと思うんですが、彼らはなんか当たりそうみたいになると頭出してて。😱😱😱
いや逆やろー😂というか。本当幼稚園生なのに凄かったです。
そして、これまた最後男の子が一人になってしまって、頑張って逃げるんですが、相手は大きい系がガンガンに狙ってくる。
想像しただけでトラウマが。😱😱😱
で、頭に当たっちゃって、泣き出しちゃって、でも、顔セーフで、まだ頑張って逃げていて。
もう、それみて母たちは号泣でした。😭😭😭
最後は当たってしまいましたが、母たちみんなで○○くん、凄いよ❗❗本当によく頑張ってたよ❗❗の嵐。
そのあとはソーラン節を見せてもらいました。
(こどもたちは急遽言われたみたいで忘れたーとかいってましたが笑)
なんか本当に昨日はお母さんになれて凄い体験をさせてもらえて本当にありがとうの一日でした。
○○くんかっこいい〜♥️♥️♥️
と
○○くんおねがーい💓💓💓
(言葉は当てろー!やれー!でしたが)
のしずかちゃん的な感覚を存分にあじわうことができて楽しかったです。
そういえば冬の夕方にボール投げの練習してるとき、ジャイアン風とかスネ夫風とかしずかちゃん風とかいいながらやってました。
めがねの顔に何度かあてられたこともいい思い出です♥️
これからどんなこともワクワクに繋がっていると思うと楽しみです😌💞
ありがとうございました。♥️
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ありがとうございました。
デッサンあ📝📝📝
おはようございます🍙🍙🍙💕
朝のNHKのデッサンあ(色んな年代、職種の人があるひとつのものをデッサンする)という番組を見ていて☕
見ているのは同じ一輪車(工事で使うものですね)で描くものも同じエンピツ✏なのに、角度や技術、塗りかたその他もろもろで全然😲😲😲違うものになっている。
縁取りが濃いもの、細かく丁寧にかきこまれているもの、黒い塊みたいなもの、、、、。
なんか凄い❗❗と朝から思いました。🙌🙌🙌
ありがとうございました~💕
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優しさに包まれて - 日々、青春謳歌
ありがとうございました~💕
かえるのうた🐸🐸🐸
2番目くんが幼稚園で歌を覚えてきてかえるのうたを寝る前に歌っていました。
ニホンアマガエル夏になると田んぼに沢山います、庭にも来たりします、可愛い💕
👦『かえるのうたが~🎵きこえてくるよ~🎵ゲッゲッ、、、。👐👐👐』
👦『ゲゲゲ~のゲー😲😲😲❗❗』
自分で歌いながら驚いていました。
鬼太郎ですよね、、、。
何だったか🙎、、、。
何かの絵本の最後にテーマソングのように私が歌っていたんですよね、、、。
彼は感覚で歌っているので、こういうことよくあります。
その感じよくわかります。
歌って歌詞なんだっけかなあと思いつつ歌いだすと勝手にサラサラでてきますよね。
きっと気持ちよくかえるのうた歌ってるはずが急にゲゲゲの鬼太郎になってビックリしたんだろうなぁ、、、。🙊🙊🙊
ごめんね🙇💦💦
🙊笑
ありがとうございました~💕
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ありがとうございました~💕
本📕『親にはひとりぐらしをさせなさい』
ふと、気になって手に取った本📕
両親はお陰さまで元気で仕事もしています。
ただ、昔から、
👩『○○っていいよね~💕同じ感覚の人がいて嬉しかった~💕』
👵『えーそんなの普通だよ』
👩『、、、。笑』
だったり、
👩『これこれこうでこうなのね、』
👵『それはいいから、とにかく~』
みたいに
話がいまいち噛み合わない笑
ききたいことが聞けない笑
(あれ、夫にも通ずるものが、、、。?笑😺)
笑いのツボは一緒なのでいいですけど、、、。笑(笑い上戸な親子です😊💕)
でこの本。
高齢になった方の具体的な動きかたを色々紹介してくれていて参考になります。
私が両親に何をするというよりかは、私が何を出来るか、出来ないかを具体的な事案にたいして考えていくことが出来ていいなぁと思いました。
この本にあるのも大事なことは
自分の生活をいかに守るか
ということ。
その上で今出来ることはなんなのか、余裕のあるいまこそ出来ることがあるよと教えてくれている気がします。
著者の三村麻子さんのポリシーは
介護は突然はいま始まるわけではなく、20年かかる子育ての逆バージョン
『介護は事業よ、仕事と同じと考えて!だから順序と体制作りが必要なの』
『介護は子育ての逆バージョンだから親の保護者になる覚悟をもって!人は年を取ると子供にかえるといわれているけど、本当にその通りなの、70代だったら、大学生から高校生くらい、80代になったら、中学生、小学生、、、。』
これって、人によっては馬鹿にしていると思われがちかも知れませんが、私には目安が見えてとても良かったです。
人には色々個性があり、得意、不得意があるけど、どの辺りまで最初の前提としていいのかよくわからなかったのです。
私は子供も大人も一個人で素晴らしい世界がそのなかに広がっているイメージなんですが、離乳食初めのこにはやっぱりステーキは難しいかな?みたいな。
みればわかるでしょ、とよくいわれますが、どの感覚まで敏感になるのかみたいな感じです。
今の段階で味や食感を味わえるベストの状態は人によって違うけど、前後10年くらいまでの差違なら目安になるかなぁ?という感じです。
姉が脳性麻痺でごはんはバーミックスで食べやすくしていたのでその目安があてはまらないことがあるのは充分感じた上でです😊💓
この本を読んでいると、行政や回りの業者さんは違うけど、家族としての根本的な向き合いかたは子供もパートナーも一緒なんだなあと感じます。
その上で大事なことはやっぱり自分を心身整えて(難しいことではなく、心地よい、楽しいみたいな😊💞)ニュートラルな感じで今望んでいることを明確にしていくことが大切なのかな?と私は思っています。🙌💕
介護ときくと大変なのかなぁとびびりますが、
最近ある程度子供の身の回りのお世話が出来たら、社会に一緒に育ててもらうという感覚で、本当にのんびり子供にむきあえるようになってきたと思っているので、そういう意味で親のことも自分(家族含み)ができることにはもともと限界があると、社会とともに見守っていこうねと声をかけてもらった、そんな優しい本でした。♥️
三村さんも子の事情ばかりを優先するのではなく、できるだけ親の意向に添って判断するとかかれているように、こうしたらこう、とかこれやれば上手くいくとかそういうことではなく目の前の人に向き合ってそのうえでいい感じになるようにやり方(専門家さんなりにきいたりして)考えていこうね♥️
みたいな。
親を子供にいれかえてもパートナーにいれかえても一緒だなぁ♥️とおもう今日このごろです。
ありがとうございました。😊♥️
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ありがとうございました♥️
今のパッション✨
新しいことを表現しようと思うにあたって、昨夜パッションテストを
一人ぶつぶつつぶやきながらやりました。
いやぁ〜またでてこない!!やろうとしてることがかすりもしない!!😱😱😱
ちなみに
①ビーチで家族で夕日を見ている。
②北海道のまっすぐのびる道をサングラスをして車で走っている。
③ゆっくり夜湯船につかりながら本を読んでいる
④こどもたちとゆっくりTVを見ている
⑤短パンはいてポニーテールで、末娘ちゃん抱っこ、子供たちと手をつないで家族で背の高い緑の中を散歩している。
働いていない、、、。笑
まっいっか♥️
ありがとうございました~💕
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ありがとうございました~💕
高校生の時読みたかった💓『これで古典がよくわかる』橋本治さん
橋本治さんの『これで古典がよくわかる』という本のおかげで古典へのとっかかりが
できました。
橋本さんの文章は難しいことを話し言葉で書かれているので大好きです。
この本を読んで、日本の気候、風土、いろんな表現に一番あったもの、ボキャブラリーは日本語、古典といわれる言葉のなかの形容詞に沢山あるんだろうなぁと改めて感じました。
🍑🍑🍑🍑🍑
以下抜粋
現代の日本語教育は、『文章をよむ』ということと、『わかりやすい文章を書く』ということにあまりに偏りすぎていると、私は思います。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
昔の日本人にとって、教育とは、『ちゃんとした文章をかけるようになることでした。』
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
昔は文章というものは『難しいもの』と相場が決まっていました。
『難しくなければ文章じゃない』とう変な考え方が生まれて、その偏向は第二位世界大戦以後の『民主化』の風潮の中ですこし見直されました。
見直されたのはいいのですが、極端から極端に走るという日本人の悪い癖があらわれて、そのうちに『文章というのはわかりやすいものほどいい』になってしまいました。
その結果、今の現代国語の教科書は『わかりやすい文章をかくためにわかりやすい文章を読む』のオンパレードです。『わかりにくい文章』より『わかりやすい文章』がいいのはもちろんです。でも、そうなったとき問題になるのは、その文章を書いたり、読んだりする、人間の中身なのです。
人間というのは、そんなに単純なものではありません。
結構複雑なものです。
その複雑な中身を持った人間が自分のことを書くとしたら、そうそういつも
『わかりやすくかんたんに』というわけにはいきません。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
一番難しいのは、なにかというと
『複雑な内容をもったものをわかりやすく書く』ということです。
〜〜〜〜
それができるようになるにはどうすればいいのか?
という答えは一つです。
『むずかしい内容をこわがらずむずかしい内容をもった文章になれる』です。
『消化のいいものばかり食べていたら、顎や歯や消化器の発達が遅れて、人間として問題の多い体になる』というのと同じです。
〜〜〜〜〜〜
成長する人間に『話し方の勉強』は必要だ
日本語の教育は『読む』と『書く』だけで『話し方』なんてものはありません
おしゃべりだった子供がしゃべらなくなるのは、彼や彼女が複雑な内容を抱えてしまったからです。
『しゃべりたくないわけではないけど、どうしゃべったらいいかわからない』ーそれで寡黙になる。
おとなしかった子供がいつの間にかおしゃべりになるのはその逆で、おとなしくしているうちに『どうしゃべればいいか』という方法をマスターしてしまったからです。
成長する人間にとって『話し方』の勉強だって、やっぱりそのときそのときで必要なのです。
🍑🍑🍑🍑🍑🍑
ちなみに私は現代文は結構評価よかったのに、古典、漢文テスト一桁とかありました。
まったくチンプンカンプン。
この本のなかに色々と説明はありますが、橋本さん曰く
〜〜〜〜〜
抜粋
『日本書記』は漢文だけで書かれた本ですが、文章といえば『中国製の文章』しか知らなかった日本人は、まず、最初の奈良時代まで、そういう外国語で文章をかくしかなかったのです。
〜〜〜〜〜
というの読み
あぁ、外国語だったのね
とようやく腑に落ちた気がしました。笑
向かい合い方が違ったというのか。
同じシリーズの本だと思って無理矢理違う本よんでたみたいな感じかなって思いました。
高校生の時読みたかった〜笑
ありがとうございました。
よかったらこちらも読んでくださったら嬉しいです。😊
ありがとうございました。💓