高校生の時読みたかった💓『これで古典がよくわかる』橋本治さん
橋本治さんの『これで古典がよくわかる』という本のおかげで古典へのとっかかりが
できました。
橋本さんの文章は難しいことを話し言葉で書かれているので大好きです。
この本を読んで、日本の気候、風土、いろんな表現に一番あったもの、ボキャブラリーは日本語、古典といわれる言葉のなかの形容詞に沢山あるんだろうなぁと改めて感じました。
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以下抜粋
現代の日本語教育は、『文章をよむ』ということと、『わかりやすい文章を書く』ということにあまりに偏りすぎていると、私は思います。
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昔の日本人にとって、教育とは、『ちゃんとした文章をかけるようになることでした。』
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昔は文章というものは『難しいもの』と相場が決まっていました。
『難しくなければ文章じゃない』とう変な考え方が生まれて、その偏向は第二位世界大戦以後の『民主化』の風潮の中ですこし見直されました。
見直されたのはいいのですが、極端から極端に走るという日本人の悪い癖があらわれて、そのうちに『文章というのはわかりやすいものほどいい』になってしまいました。
その結果、今の現代国語の教科書は『わかりやすい文章をかくためにわかりやすい文章を読む』のオンパレードです。『わかりにくい文章』より『わかりやすい文章』がいいのはもちろんです。でも、そうなったとき問題になるのは、その文章を書いたり、読んだりする、人間の中身なのです。
人間というのは、そんなに単純なものではありません。
結構複雑なものです。
その複雑な中身を持った人間が自分のことを書くとしたら、そうそういつも
『わかりやすくかんたんに』というわけにはいきません。
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一番難しいのは、なにかというと
『複雑な内容をもったものをわかりやすく書く』ということです。
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それができるようになるにはどうすればいいのか?
という答えは一つです。
『むずかしい内容をこわがらずむずかしい内容をもった文章になれる』です。
『消化のいいものばかり食べていたら、顎や歯や消化器の発達が遅れて、人間として問題の多い体になる』というのと同じです。
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成長する人間に『話し方の勉強』は必要だ
日本語の教育は『読む』と『書く』だけで『話し方』なんてものはありません
おしゃべりだった子供がしゃべらなくなるのは、彼や彼女が複雑な内容を抱えてしまったからです。
『しゃべりたくないわけではないけど、どうしゃべったらいいかわからない』ーそれで寡黙になる。
おとなしかった子供がいつの間にかおしゃべりになるのはその逆で、おとなしくしているうちに『どうしゃべればいいか』という方法をマスターしてしまったからです。
成長する人間にとって『話し方』の勉強だって、やっぱりそのときそのときで必要なのです。
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ちなみに私は現代文は結構評価よかったのに、古典、漢文テスト一桁とかありました。
まったくチンプンカンプン。
この本のなかに色々と説明はありますが、橋本さん曰く
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抜粋
『日本書記』は漢文だけで書かれた本ですが、文章といえば『中国製の文章』しか知らなかった日本人は、まず、最初の奈良時代まで、そういう外国語で文章をかくしかなかったのです。
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というの読み
あぁ、外国語だったのね
とようやく腑に落ちた気がしました。笑
向かい合い方が違ったというのか。
同じシリーズの本だと思って無理矢理違う本よんでたみたいな感じかなって思いました。
高校生の時読みたかった〜笑
ありがとうございました。
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