子育て相談、保健師さん、子供たちありがとう💓
久しぶりにブログを書いたらなんだか慣れず片言のような文章に、、、。
先日夫くんにマッサージ機をかってもらったのですが、めちゃくちゃいい!!
産後のママや介護でおうちを離れられない方々に絶対におすすめ!
授乳中背中張ったとき、マッサージクッションのおかげで授乳量が復活しました!
軽いから自由に移動できるし、寝ながら太ももやふくらはぎもばっちり!
ヒーターの効果もよく感じられ、私は自己判断で、お腹とかもうつぶせでやったりします。(わたしは基本マッサージといってももみかえしとかないよう体を調整する人間なのでこれは本当に自己判断です)
で、全身やって。
この週は3人の子供たちが入れ替わり立ち代わり病院や熱、風邪、手足口病、カサカサ
、、、ととにかくめまぐるしく上の子たちが赤ちゃんだった頃を彷彿させました。
午前午後と一日2回、病院に二人ずつ行ったり、おいもほりの準備したり、(台風で遠足と芋掘りが3回延期になってどの日にどちらだったとか、、、、)
この頃💓
で、体のこりって体がなにかある物事に反応したときぎゅっと固まって、それがこりになっていくというような記述をみたことがあって。
で、ぎゅっと固まるときって、気持ち的にもぎゅっと身を縮こませる、身構えるというような感覚をうけているんだと思うんです。
だから、このこりを解放するとそのとき感じた感情や感覚も一瞬解放される。
で、大量だとへこむ。
私は二番目君が一才の頃とてもとても疲れていて。
で、あるとき、スパゲッティの袋を床に落としてしまったんですね。
そうしたら年子のお兄ちゃんたちがわーってよってきて。ふみふみ。パキパキ。
そのとき、
あぁーこれで、少しゆっくりできる
と片付けのことなんかよりも今、この一瞬5分でも10分でも自分の時間ができたことが嬉しかった。
安心して一息つけた。
私は子供たちのどこそこにうんちしちゃった、泥まみれになったなど等のわけのわからなさは本当にへこむんですけれも、ある意味子育ての醍醐味とも思っていて。
後々(そのときではなく)にかたる本当にへこむわーはあぁ面白かったーでもあるように感じているんです。
大好きな相手だからこそ受け止められる試練💓(面白がって)
私のまわりの人は知っていると思いますが、私本当にだめだと思ったら即逃げます
だからこそ、自分でも子供たちのそういうこと全てがきゃー可愛いに置き換えられることが面白くて愛ってすごいんだなっと感じていました。
でもこのパスタのときなんか変だなっと思って区の子育て相談に電話をしました。
パスタ踏み踏みはまだまだもちそうだったので笑
👩はい〜
私(色々省略)子育てが行き詰まってしまってどうしたらいいのか、、、、
👩どんなことが困っていますか
私 上の子が好きなもの、同じものばかり食べるのが、私は2才くらいならそんなものかなと感じているんですが、主人は卑しいと彼にいったりして、、、、。
その言い方はひどいといってもそうだとと言い切られて。
下の子が生まれてまだ1才10ヶ月だった頃から彼が自分でフォークをもって自分で食べなかったり手で食べたりするとなんでこいつはこんなに行儀が悪いんだと言ったり。
いつからだとか。
こんなもんだよ、と話しても喧嘩になるばかりで。
👩、、、、
私 お兄ちゃんと平日食べるよう促しても食べないし、私的には幼稚園くらいには食べるという記述もよく見かけるからいいんじゃないとも思っても、週末できないでまた
パパに怒られるのは可哀想だし喧嘩をみせるのも可哀想だし、、、。
👩ニコさん、大丈夫。子供って本当そんなものですよ。
多分ニコさんはずっといろんな関係間、誰かと誰かのつじつま合わせを上手にやってきたんだと思います。
でも、子供は大人からみたときつじつまあわないこと絶対にある。
どうやったってできないことがあるから。
だから、そこはご主人に譲歩してもらうしかない。
そんな風なやりとりをパスタがつきるまでして、ほけんしさんの方からお家に訪問してお話を聞いてくれるという機会を何度か作ってくれました。
そして、ひとまず落ち着いたとき、提案していただいたのがグループワークで。
絶対口外無用のなかで、自分たちの日常の出来事や気になっていること、人に相談しづらいこと、を順番にはなしていくというもので人から意見を求められない限り人のことに意見することは×で、ただただ、聞いたり、話さないで座っているだけでもOKでした。
ほけんしさん2人、心理士さんが絶妙に丁寧に心地よい場をつくってくれたので安心して思いのうちを吐露することができました。
で、不思議なんですが、みんな人にいいづらいことを始めは声を震わせながらだったり、涙をこぼしながらだったり、思い詰めた感じで話していくんですが、、、、、
おちがあって最後爆笑
が少なくない。
というか最後の方の場がゆるんできたときには結構そういうことがありました。
陰極まればなんとやら、、、ということなのか、、、、
二十年来の友人に就職したばっかりの頃だったか?ニコがいってたみたいに最後笑えたら大丈夫だよ、みたいなの、本当だよねといわれたことを改めて思い出しました。
(逆にしあわせ〜みたいなほわほわしたときって私はわざわざひとに話すネタがない感じ(もちろんいい意味で) を感じています)
そのくらい私のお邪魔させて頂いたところ、ときは爆笑多かったです。
子供たちは経験豊富な保険師さんや保育士さんたちが徹底して見ていてくださって
(大泣きしても具合が悪くなるとかじゃない限り責任もって大事にみていてくれる)
そのことも本当にありがたかったです。
(その頃夫に預けようとしたらママはおまえたちと一緒にいたくないんだってと
子供に言っていて(ちなみにこの台詞は本によるとDVにあたるそうです)。耳鼻科にも咳がとまらず下の子を連れて行ったりしていました。)
で、そのとき心理士さんやほけんしさんが言っていたのが
自分がどうしたいか、どうなりたいかをはっきりさせる
でした。
で、私は夫とつきあっていた頃のニコニコしていた彼と遊びにいきたい
と決めていくんですが、それはそれで今になってみると迷走していたような笑
で、大分私自身も怖くても意見していく(このためには体力、気力は必須ですが)
に慣れていまなんですが。
今に集中して今の感覚に集中していてもなんともいえないつらい感覚に飲み込まれる
ときがあって。
もう、ただ前に進みたい、クリアーにいきたいと決めていても飲み込まれ。
でも、あるときがっつりとはきそうなくらい怖かったとかやるせなかったとか、自分の信念をまげてしまった絶望とか、動けなくなるくらい体感して、どろどろになって。
死んでもこんなのはもうやだと感じきることを抜きにはクリアーになることは難しいし、感じきることは安心できる前提があって解凍できるんだと思うし、ある意味
むりに感じきらなくたって抱えたままだっていいんじゃないかと。
自分の船はただ自分の望むものへ帆をむけているけれど、風をうけているときまわりからみたらどこへむかっているのかわからないようにみえるかもしれない。
でもいつだって目指すものは子供の頃からかわらず、それを信じてくれていたり、わかっている人たちには私が風をうけて横を向いていたってきっとわかるといまのわたしは思っています。
私の先行きを不安に思うならそれはその人が不安なだけ。
つけばオールオーケーみたいな
ひとまず今の自分にはなまると過去の自分の背中をよく頑張ってる、もういいよ、大丈夫、大丈夫!ってなでなでしてあげる、そこからがはじまりなんだろうなって
そんなことが怒濤のごとく訪れていた10、11月の昼下がりでした。
チャンチャン♪
ありがとうございました。