kokoro🐐🐐🐐追記あり
最近読んでる夏目漱石のこころの英語バージョン
なんか年なのか日本語が読めないというか入ってこなくて
そのせいか動画とか見だしたりして
でふと、そんなら読むのも別に英語でもいいんじゃね?と眺めてます
漢字とかもお母さんが読んでくれてた本を自分で読むようになったときに音声と文字が頭の中でピタッとあって読めるようになった気がするのでぼっーと追ってます。
高校生くらいまで漫画か江國香織さんしか見てなくて
で高校の図書室にたまたま行ったとき、その時本の入れ替えで要らなくなった本あげるって言われてもらったのが夏目漱石さんのこころでした
なんとなく読んでみたらえっ!結構オモロイかも〜って感じでハマってそこから夏目さんの本をほとんど読んで今に至る感じです。
ちなみにははに松山の夏目さんの坊っちゃんの道後温泉に
ちょっと病んでたころ連れて行ってもらって、沢山温泉入れてもらってぶっかけうどん食べさせてもらってあまりにうまくてスーパーでだしじょうゆかって家でもみんなに振る舞った記憶があります。
こういうふうに書くと落ち込んでても落ち込んでるだけじゃなくてやっぱり面白かったり楽しいこともしてるというか、させてもらっていて。
その時その時で都合よくどちらかだけを強調するのも物語としてはわかりやすいかもだけど飽きちゃうんですよね
片割れだけのそういう話。
私はやっぱりあへぇー、?みたいな断層のある話のが好きですね
最近やった私を5文字で表すとという問いかけがあったのですが、
ありえない
だったのが妙に納得でした。
私は最近は何か始めるときは3,4ヶ月とにかく取り組んでみて、そうすると3,4ヶ月頃にはなんとなく慣れてくるなと思っているのでその間多少ごちゃっても心配してません。
通過儀礼というか。
逆にここでごちゃらせてくれないで周りの不安に応えたりすると何倍にも私の負担が増えたり何年にも渡ってわけのわからない恨みつらみが体に残ったりすることがあるのでここは大事なところだと肝に命じています。
本当、人の不安なんてその人が解消したり勝手に大事に持ってるもので人にぶつけるんじゃねえと思います。
時々不思議なのが、自分にとってあるセリフが意味がよくわからない🤔ことが昔からあるのですが、
その逆バージョンというか呼応するようなセリフを言われることがあって。
あぁ、この人たちは表面的には対立してるように見えるけどちゃんと同じストーリーの中で生きてるんだなぁとなんとなく不思議な感覚をうけることがあります。
例えば学生時代時々告白されたとき、私は付き合う気がなかったら断って誰にも言いません。
付き合う気がない=私の世界の住人ではない
というか早く出ていってほしい
からなんというか関係ないのでそこで終わりという意識です。
一切かかわりあいがあったこともなかったことにしたい、そこに時間やエネルギーを取られたくないみたいな
(相手から答えがはやっ!って言われたことがあります。)
で、その人がなんか知らんけど私の友人に話して、友人から友達がいがないと言われるということが何度かありました。(別の友人でも)
で、その人も友達に話さなかったの〜?とか言ってくる
こういう時、友達に話す理由がわかりませんでした。
私の心は全然動いてないから忘れてるし、彼との関係は何もないから拡げるような話もないし🤔
でも、こういうのが社会スキルなのかもしれませんね
誰も心は動いてないけど、社交辞令みたいな
追記
そんなふうに何度か言われたこともあって、もう少しその人だったりを排除したりしないでだったり、人間ぽい対応をしてみることにしたけどやっぱりややこしくなるだけだなってよくわかりました
そんなわけで私は私の好みのストーリーを一緒に楽しめる人たちと過ごしたいなぁと思うわけです😎
ありがとうございました〜😊💮💮💮