日々、青春謳歌

私には私の風が吹く?「嬉しいな」「いい気分」を発信していきたいなと思っています✌

研究結果🍫🍫🍫

 

nico3939.hatenablog.com

 これに書いてた今まで乗ってた車に義母が乗るのがなんで嫌なのかずっとわからなくて

 

 

考えてもわからないときはほうって、疲れてるんだなっって子供たちと8時には寝てました。

 

 

地味に朝起きて、子供たちの朝ご飯してチャリに二人のせて坂ふたつ登って保育園いって洗濯、掃除して仕事して、学校とまた坂二つ登って迎えにいって、夜ご飯食べて、お風呂いれて、っていうのをした上で、夜起きてるのはつかれるなって思いましたので、9時までには寝る事にしました

 

することないし。

 

んで、朝、ふと。

 

私は関係性ひとつひとつに実は理想のこだわりみたいなものがあって。

 

たとえばお母さんなら家を綺麗にしておいてくれる、洗濯物を畳んで引き出しにしまってとりだしやすくしておいてくれる、私を理解し応援してくれる、みたいなものがあって。

 

でも、ずっと、その人がその人のままでいてほしいも矛盾してあって笑

 

だからこだわりの部分は私が裏方でやっておいて、お母さんはそこにいてくれたらすべて上手くいってるじゃん!みたいな感じでokにしていました。

 

多分夫についても。

 

 

そばにいてくれたらもう、それでいいやみたいな。

 

でも、配役二人分やってるから、死ぬほど疲れるし、

そのうちのひとつは(仮)だから、自分のやってることにもならない。

 

 

でも、それをやっていた理由は

そこからそれたときのがっかり感、絶望感、それはやっぱり私は大事にされないんだ、だから三番手(一番最後)に甘んじてたのはこれを徹底して味わいたくなかったから。それを味わったら、生きてる意味がなくなっちゃう。

そうしたくなるみたいな。

 

 

 

で、ふと、昔3年弱つき合ってた彼と友人二人と時々飲んでたんですが。

 

あるとき、仕事と学校で本当に疲れと落ち込んでるとき、共通の友人たちと私抜きで飲んでて。

なんかすごいがっかりしたんです。

 

で、このときいた女の子の友人というのが、今思うと面倒くさくて。笑

 

その彼と別れたとき、ずっと

『私は○○くんと親友だからつきあう!』

って言い続けてて。

 

もうひとりの友人と

👧👧はぁ、そうですか

みたいにきいてたんですけど。

 

 

そのわかれた直後も

「いおうか迷ってたんだけど、わたし◯◯くんに告白されたんだよね』

とかずっといっていて。

 

よくきいたら、

卒業式の打ち上げで

『俺、◯◯さんのことすきだわ〜」ってみんなでうちあげしてるとき言ってたってことみたいで。

付き合い出す前の4年以上前の話で、だからなんだろう🤔って思いました。

 

 

でも、別れたばかりと、仕事と色々傷心だった私は(本当に落ち込んでた)、面倒を起こしたくなくて、彼女が一番なんていったら喜ぶかなって考えて(丸くおさめたくて)私の心にも嘘をつかないよう

 

 

「よかった!わたしの好きな人たちみんな好き同士だったんだね」

 

 

といいました。もうはなしを続けたくなくて。

 

そうしたら、そこから、延々とわたしは○○くんと親友だから〜云々言ってて。

 

もう、私、いたくもかゆくも、しかも興味もない人の話を延々きかされて

 

しかも、学生時代、彼女が困ってる風の彼の方に手をまわして(背の高い人でした)

私たち親友だよね👨👧っていってるのを何回も見てたので、はいはいとしか思いませんでした。

 

彼といた時間は私に取って本当に生まれ変わった時間だったというか、大事にしてくれたなぁと思えた時間であったので、他人が何をいおうと当事者の自分はよかったという以上の何者でもありませんでした。

 

生きる道が変わった、それだけでした。

 

で、別に彼女の親友だから発言も個人の自由だから別にいいたければいえばいいけど、別れる事にしたと言ってる人にそれを言わないではいられないような人間が満たされてるのかっていったら、わからんが、一緒にいないと私が判断することも自由だなと。

 

 

彼女、よく考えたらのちのちもよういってて、でも、距離をおくことができてよかったと本当に感じる。

 

 

で、真ん中すっ飛ばすと、嫌いな人に対峙したとき、私の対処法は、相手を赤ちゃん扱いする。

 

そうすると毒が抜けるから、ひとまず攻撃性はぬける。

でも、もともと嫌いだからうざいし、こちらからも連絡しない。

だから、もう、嫌いな人に近づくことすらやめようと思う。

時間もエネルギーも無駄遣い。

 

で、あの車問題。

 

私はお姉ちゃんにずっと笑ってほしかった、となると徹底して相手の好む反応を私が見つけ出してすること。

が私の今までの生き方で。

もう、いろんな人が喜ぶ反応を研究するみたいなことが今までの生き方のテーマの一つで。

だってこうだよってお姉ちゃんは教えてくれなくて。

お母さんもね。

 

 

で、ですよ。

この最初にでてきた彼女と義母も。

この車に乗った事に私がどう反応するかってことで、もう、夫はどうでもいい。

 

そうなると、お義父さんに感謝しかない。

 

私には夫がいないから、ずるいだったけど、それもなくていいとなった今。

 

本当にどうでもいい。

 

昔から興味のない事とか、きらいな人に反応しろみたいに言われる事がよくあったけど、どうでもいいっていうと冷たいと言われてw

 

そういえば夫がこういうの死ぬほど腹立ったけど、私が嫌なのに我慢してたからむかついたんだろうな。w

まっ、物事の共有ができないような親しさならその時点で他人だけどw

 

で、私は無理栗考えた答えをいってきたけど、それに対して勝手に怒ったり、くっついてきたり。

 

 

どちらにしてもうざいなら、もうはじめから正直に生きようと思う。

 

義母のどう思う?が死ぬほど嫌いだったけどもう目の前にいないから、何とも思わない。

 

夫もどうでもいいっていうと嫌いなんだろっていってたけど、そういうシンプルでいい世界もあるんだなって思った。

私が嫌いでも生きていけないとかないしね。よくあること。

 

 

やっと解放された。嘘の世界から。

 

問題

白い車にのったらはらがたつのはなぜ?

 

答え

私関連とされているものがなくなることに対して感情的なコメントを求められる事が嫌だった。

どやられたり、可哀想がられたりすることどれもその人が勝手に相手に求めているものでそれに応えてあげないといけないのかなって感じたから。

 

考察

興味のないものは興味がなくていい

 

ありがとうございました。