私がやりたかったこと☆
ふと、ずっとやりたくないことばっかりで、それをいかに人から見たときにokもらって、好きな事に取りかかれるか、好きな事に集中する時間を取れるかってっていうのが、今までの私の命題みたいなものだったかもって思いました。
自分の美容より、食べる事より、遊ぶ事より、寝る事より、
私はいったい何を考えてるの?
っていうところを知りたくて、聞きたくて、感じたくて本とか映画とか音楽とかに没頭したんだろうなって。
どこかに私が考えてる事があるんじゃないか、感じてる事を表現している事があるんじゃないかって探しまくっていた。
ものすごい沢山
だから、人がドヤ顔で情報を教えてくれてもどれもなんか聞いた事ある、ってつまらなかった。
逆に自分の感じた事をそのまま話してる話はお茶を飲んだってことでもすごく面白かった。
その感じたことを、どやる材料にする人の話はどっかで聞いた事あって面白くなかったけど。
お腹の中の私はすぐそばで話を聞いてくれるのをずっとまってるのに。
なんですぐそばに私がいるのに本やネットで私を調べてるんだろう?
そんな感じだったんだろうな。
それが、そのまま私の家族関係や結婚生活にも現れていたように感じる。
なんで直接聞いてくれないんだろう、なんで話した事そのまま聞いてくれないんだろうって母や夫や義母にいつも思ってた。
夫にきれた事があって
腰がいたいだったかで、休むというとき、痛いんだなって思って、何もいってないのに
「〜こうだから、動けない」
みたいな事をずっと言っていて。
べつに痛いっていうのを全く疑ってはいないから、私にそういう言い訳をされるのは心外だみたいなことを言いました。
痛いなら寝てればいいじゃん。
やりたいことだって、別にやりたいならやればいいのに、
「〜したからいいだろ?」
みたいに言われてもやりたいことを、やりたいのは理由があってやりたいんじゃなくてただ自分がやりたいんだから別にやればいいじゃんって、いってんじゃん
ってきれました。
あなたのやりたいことを駄目ということは一切ないけど、それ実現するのに必要なフォローが私にはできないことはある、と。
それだけだと。
これも自分に言ってたんだろうな。
だから夫が産後ごちゃごちゃいうことにできない理由を説明しても
「くそみたいな言い訳すんな」
とか言ってたんだろうな
これも
「産後はそういうもんだ、休む」
で終わりだったんだろうな。
体感のわからないやつに説明してもわからないし、わかろうともしない人にあわせて骨身削って説明してやる必要なんかないんだ
調整をはかれるのは相手も調整をはかろうとしてくれる時だけ
自分のおなかの声を聞いてるだけで、全部幸せになる。
だって、自分の体の声も、そのとき感じたこと、産まれたときからの全ての情報の上に最新のデータをぱっと発信できるのは自分だけ。
最高のパートナー。
私を幸せにしてくれるのは私。
だからそんな私は、さらに子供たちのように、一緒にいると嬉しかったり、怒ったり、いろんなエンタメ、幸せ感を私に体験させてくれる存在のそばにいることを選択する。
一緒にいるために私がこれ身につけた方が楽だな、ほしいなって能力は、多分私が産まれたときから持ってるもの、それを体を使って表現していく、体はまだ慣れていないから。
ありがとうございました。